夏の花をつかったフラワーアレンジメント 義父の戦争体験記その7、8


今日はフラワーアレンジメントの日

一ヶ月に一度の楽しい時間です、

今日はどんな花材が用意されているのかしら

花材を眺めながら、

用意された花器にあった花を選んでいきます

最初のころは先生の作品を真似ていたけど、

最近は自分なりのアレンジが

できるようになったかなって思って

自己満足してるんですよ (=^・^=)

先生と楽しいお話をしながら

思い思いに・・・、でも個性が出るんですよね

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先生と、私とお友達の作品です

私の作品はどれだかわかりますか

手前に写っているのが先生の作品です

そして アレンジメントの後はいつものランチタイムです

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日替わり2色パスタランチ

海老とキノコのクリームソーススパゲティ

沖縄産あぐー豚のラビオリトマトバターソース

ごちそうさまでした



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はい、これが私の作品です

夏らしく、百合を中心にアレンジしてみました

リースの台に花をさしています


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百合 バラ ネべリア あじさい ネイビー アスター

セダムなど



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横から見るとこんな感じ

あじさいをベースにしてるんですよ

今日咲いたバラ

台風のまえに、少しは花を切っておこうかと

迷ったのだけど、だんだんそれていったので

結局花はそのまま

おかげ様で台風の影響もまったくなくて、

花は咲かせたままです

でも、最近コガネムシの

カップルがいっぱいあちこちで誕生してて

このままでは、卵を産み付けられそうなので

消毒と、オルトラン顆粒を撒こうと思います

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ロージークリスタル

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ラムのつぶやき

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マルクアントン・シャルポンティエ

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ズウニール・ドゥ・ルイ・アマード

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サイレントラブ

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クレアオースチン

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クイーンオブスウエーデン

s-140811イエローサブマリンIMG_0280 

イエローサブマリン

s-140811あおいIMG_0206 

 あおい


 今日のニャンコ

フラワーアレンジメントの写真を撮ろうと
 
カメラを構えると、いつものパダーンなのですが

 ルナちゃんモコちゃんが先回り

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まあ、テーブルを占領しちゃって

これじゃあ、お花が載せられないわよ

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結局、ルナちゃんからチェックが入りました

あっ、百合の花は嗅いだら駄目よ

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うう、百合の花の中毒で酔っちゃった
 
 なんて、ことはなくて、お休みしようと思ったら


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無理やりモコちゃんが押しかけて、

占領しちゃいました
 
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うーん、いい香りニャー

ちょっと、ユリはあまり匂わないでね

大丈夫ニャー



 義父の戦争体験記

「北鮮哀歌」 第7、8章は  続きを読むで 

見てくださいね



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第七章. 留置場
人通りの途絶えた夜中の新幕の町を保安隊員に圍まれ乍ら、重い足を警察署へ引かれて行った。間も無く警察署に入った。彼等は昨日からの状況を隊長らしき者に報告していた。やがて一人の幹部らしき者が来て私を板の間に坐らせ、「お前等は今迄我々朝鮮人をどれだけ苦しめたか知っているか。徴兵制度とか徴用とか云って罪もない者を狩り出して、どれだけ我々の同胞を殺したか。勿論お前一人がやった事ではない。天皇陛下がやらせた事ではあるが、直接政治に当ったお前達の罪は免れない。之から我々朝鮮人にも自由が訪れたのだ。朝鮮人にも魂があるのだ。今度お前達は今迄の罪の償いに、我々の為に一生動く義務があるのだ・・・・・。」と云う様な事を何度も繰り返した。私は唯黙って聞いているより外に方法がなかった。

しばらくして彼はもう餘り云わなくとも解っただろうと云って私を留置場に連れて行った。留置場の中に入ると其処に私達の同僚である岩井部長が入っていた。外にも二人ばかり入っていたが彼等は朝鮮人であった。私は岩井部長にどうなるのだろうかと尋ねると彼も、さあ、さっぱり解らぬと答えた。だんだん話して見ると岩井部長もマラリヤの為に外の同僚達が引っ張られた時は寝ていた為に其の場は済んだが、昨晩俄にわかに保安隊員が捜索に来て、有無を云わせず連行させられたと云う事であった。

生れて初めて入った留置場、何とせまくるしい陰気な処であろうか。今迄は罪人を留置場に入れる権利を持っていた。今度は反対に彼等から入れられたのだ。八月十五日の終戦を境にして歴史の大転換を示す最も著しい例であろうか。「裁く者よ、汝も亦裁かれん」と誰かが云った言葉を思いだした。然し歴史は繰り返す。幾年かの後に三転して今裁く彼等が亦裁かれる日が来ないと誰が断言出来るであろうか・・・・・・・。

その晩はさすがに疲れが出たか、うとうとしたと思うともう夜が明けていた。私は知っている保安隊員に頼んで野田さん方から食事を持って来て貰う事にした。午前十時頃でもあったろうか、食事を持ってきた。あゝ、此の辨当を妻はどんな想いでこしらえたであろうかと思うと、思わず知らず涙が出た。其の日も翌日も何も調べられず留置場の中で過した。便所に行く以外に用のない全く無味乾燥な留置場生活。此の儘、此の生活が十日も續いたら気が狂いはしないかと思われる程つらい淋しい生活。人間自由を束縛された位つらいものはないと云う事を、身をもって体験した。幸い同僚の岩井部長が居たので私達はお互いにどれだけ慰めになったか知れなかった。

第八章. 南川に送らる 

然し私達の留置場生活も余り長くは続かなかった。三日目の午前十時頃保安隊員が来て錠を外し私と岩井部長に出る様に云った。又別の房からも三人ばかり出て来た。見れば新幕警備隊の石崎大尉と其の部下の内野と林田と云う軍曹であった。保安隊員は我等五人を前の署長室に連行した。其処には保安隊の支部長初め二・三人の幹部と一方にはソ連軍の将校らしき者二・三人が居て手真似で何か話していた。

やがて私達五人の者は銃を持った五・六人の保安隊員に囲まれ署前に出た。其処には一台のトラックが我々を待っていた。間も無くトラックに乗せられ出発した。新幕の町を出る迄は大勢の朝鮮人が物珍し気に私達のトラックを眺めていた。私達五名の者は云い合せた様になるべく低くしゃがんで顔を伏せていた。顔を知っている保安隊員に聞けば我々を南川に送る様である。出発後十五分位経った頃、新幕の町を外れて間もなくトラックが止まった。どこか調子が悪いらしい。私達五人の者は皆不安な顔をしていた。中でも林田軍曹はどうせ銃殺されるか或いは一生捕虜として酷使されるのだろうから逃げようではないかと小聲で話したが、夜間なら兎も角晝間ではとても逃げられ相にもなかった。若し逃げ出しでもすれば忽ち保安隊員の銃に依って殺されているかも知れない。五人共新幕に最愛の妻子を残しているのである。滅多に軽はずみな事は出来なかった。

三十分ばかりも止まっていただろうか、ようやく動き出した。やがて新幕物開門の峠を越えた処でトラックは又故障を起こした。此処では二時間位も停車していた。此の間保安隊員は我々に同情してか或いは逃走を恐れてか、煙草等を分けて呉れた。其の後もトラックは時々故障を起こして結局南川に到着したのは午後三時頃であったろうか。警察署の前で我々を降ろし隊長が中に入って行った。此処はソ連兵が澤山居た。ああ又留置場かと思っていると、しばらくして隊長が一人のソ連兵と一緒に出て来た。又トラックに乗り南川の町をゆっくり進んだ。此処はソ連兵の多いのに驚かされた。又、町の要所には「スターリン大元帥萬歳」と朝鮮語で大きく書かれた宣傳文が貼られてあった。しばらくして今度は別のソ連兵が居る処に連れて行かれた。此処で大分待たされた。隊長の話によると我々をソ連の憲兵隊に引き渡さねばならないのだが、憲兵隊はもう海州に移動した後であった。それに通訳も居ず要領を得ずに困っていた。留置場に入れようにも満員で、もう入れるところがない相である。それで隊長は我々を海州に連れて行くつもりで運転手に相談して居たが自動車の調子が悪くて、之から海州にはとても行かれないと云っていた。(この時自動車の調子が良かったら私達は海州に連れて行かれて、ソ連憲兵に渡されてどうなったか解らなかったであろう。自動車の故障ゆえ助かったとも居える)

しばらくすると一人のソ連兵が出て来て私達を呼んだ。彼は南川の町を通り過ぎて橋を渡り、町外れに連れて来た。其処に川を隔てて相当廣いリンゴ園があった。此処には日本人が大勢居た。ソ連兵は私達を此処に入れるように隊長に手真似をしていた。然し隊長は同じ日本人の居る処に我々を置いて歸るのは不満のようであったが、私達は五人一緒になって決して逃げないからどうか此処に泊まらせて呉れる様に頼んだので遂に彼も承諾した。然し隊長は日本人會長に逢って我々五人の者を絶対逃さない様に・・・・・・若し逃がした場合は南川の日本人にそれ相当の処罰をするからと云って私達を預けたらしい。そこで彼等は私達を残して新幕に歸った。彼らも通訳は居らず新幕や海州に連絡は取れず我々を持て余したらしい。それで彼は責任上一旦新幕に歸って指示を仰いで又来るからと云い残して歸ったのである。彼らとしても私達を良い加減にして置いたのでは、後でソ連兵にどんなひどい目に逢わされるか、それが恐かったのである。

彼らが歸って直ぐ私達は日本人會長や幹部の人に逢った。先ず我々は自己の経歴を語り此処に泊めて貰う事をお願いした。會長は同じ日本人として直ぐにでも逃がして上げたいのは人情であるが、貴方達五名の者を逃がしたばかりに、我々南川の三百数十名の者がどんな目に逢うか知れないと思うと、貴方達の境遇には大いに同情するが、絶対逃げないと男として誓われるなら泊めて上げましょうと云われた。そこで我々もどうせ留置場に入れられる身体であるのが思わず同じ日本人に泊めて貰うのだからそれだけでもう満足である。決して皆さんには迷惑をかけませんと誓って此処に泊めて貰う事となった。こうして我々の身辺は想像したよりも好転して行ったのであった。

此処で南川国民学校の校長をして居られた同郷の岡村氏に巡り逢った。お互いに終戦以来の苦しみを語り合い、日本の不運を歎いた。此処で南川の情況を話して置きたい。此処は新幕よりもソ連兵がずっと多く、町を通って見てもソ連兵で一杯であった。尚其の上此処は、海州から國境近くにある金郊新渓方面に行く交通の要衝になっている関係上、ソ連軍の異動部隊が通過するので其の都度日本人初め朝鮮人迄も、相当被害があるとの事である。私達が町を通った時も、ソ連兵達は鮮人の物売りから、リンゴや其の他の物を手当たり次第取って食べているのが見られた。特に移動部隊が来た時は略奪が激しく、日本人会長さんや岡村さんの話に依れば、此の二・三日が最もひどく夜も一睡もできずに警戒していなければならない相である。夜間、彼等は女欲しさにやってくるらしい。全く野獣の如き振舞いをして女を求めるとの事であった。其の為か、南川の日本婦人、特に娘さん達は頭髪を惜し気も無く刈り、顔には墨などをつけて黒くし、モンペやズボンを二枚も三枚もはき洋服の上衣を着て男装をしていた。彼女達は、夜は家の中か防空壕に入ったきり出られず、晝間でさえ家から余り出られない有様で、全く戦々恐々とした生活を続けているのであった。又今日私達を連れてきたソ連兵は各室を一々廻って女の数を調べて歩いたから、今晩は余程警戒しないと危険だと話し合っていた。

午後四時頃私達は班に入れて貰って食事を戴いた。私と岩井部長は同じ班に入れて貰った。薄暗くなる頃から男は不寝番や警戒に当たった。私達も一緒になって警戒した。警戒といっても要所・要所に火を焚いて集まっている位で決して抵抗は出来ない。女達は明るい間に食事や雑用を済まし全部家の中に隠れていた。ソ連兵が川向こうの道路を歩いている時は「警戒警報」と云って知らせ、リンゴ園に入って来たときは「空襲警報」と云う合図をする様になっていた。

大分暗くなってから表門の方から「警戒警報」と知らせて来た。私は門の方へ行って見ると二・三人のソ連兵が道路をこちらに歩いて来つつあった。彼等は私達の居る方を見ながら何か話していた。門の処迄来て入りかけたが又引き返して行った。それから間もなく道路の方でパンパンと銃の音がした。彼等は威嚇の為に発砲したのである。すると間もなく「空襲警報」と云う合図があった。見ると二・三人のソ連兵が門の中に入っていた。我々の居る処に来て身体検査をやり出した。彼等は時計、万年筆、金などを探し、持っていたら片っ端から盗るのである。掠奪が済むと今度は女を探しに家の中へ入って行った。真暗い室内で子供の泣き叫び聲、叱る聲、逃げ惑って悲鳴を上げる聲。文字通り阿鼻叫喚の生き地獄であった。やっと彼等が歸ったと思えば、又新たに別の組が入って来たりして、十二時過ぎ頃迄はこうした状態が続いた。彼女達は全く生きた心地はしないであろう。然しさすがのソ連兵も彼女達の命がけの抵抗には辟易するらしく最后の一線と云う処で目的を果たさずに歸っていくらしかった。私は新幕に居る妻子の身を案じた。どうか新幕は南川の様にならなければ良いがと。

十二時過ぎから朝鮮人の保安隊が四、五名来てソ連兵が来る度にうまくとりなしては返してくれた。保安隊員もソ連兵の暴行ぶりにはあきれ返っていた。夜明け近くになってやっと家に入って横になる事が出来た。

 


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麻呂です♪
百合さんは、長持ちするのでしばらく楽しめそうですね。
とっても素敵です。
レッスンの後にランチなのも楽しそうですね。
ルナモコちゃんも興味津々なんですね。
可愛いです。
うちも新しい物のチェックが厳しくって・・・
宅急便が届いても梱包を解くのが大変です。  o┤*´Д`*├o アァ・・・
maro | URL | 2014/08/12/Tue 08:43 [編集]
猛暑復活
こんにちは! Keikoさん

台風通過二日目になり朝から陽射しを受け
気温がグングン上昇して夏本番です。

今日もお義父さんの手記読みました。
終戦日を境に立場が逆転し警察官であるが故に
拘束されたんですね。
朝鮮人から見れば、国家権力の手先と見なされ
標的にされたんですね。
「裁く者よ、汝もまた裁かれん」とお義父さんが仰っていることが
新約聖書「マタイによる福音書7-1」に出ています。
身に沁みます。

ロシア兵の傍若無人な振る舞いは許せないですね。
他の方の終戦直後の記事を読んでも
ロシア兵の略奪の凄まじさが書かれており
その一方ではアメリカ兵が食料などを提供したなど
雲泥の差ですね。

花咲かじいさん | URL | 2014/08/12/Tue 13:15 [編集]
フラワーアレンジメント毎回楽しそう♪
いつか私も習い事してみたいな~
自宅の薔薇を活ける時にも参考になりますよね(笑)
今回のアレンジメントもとっても素敵ですね(*^_^*)

ウチも今回ほとんど何も対策出来なくて
ベランダの花は切りましたけど蕾はそのまま・・・
何とか台風も持ち堪えてくれて良かったです。

消毒したいけど無理かなぁ・・・
ROUGE | URL | 2014/08/12/Tue 14:08 [編集]
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