若田光一さんのミッション報告会 神秘的なのは宇宙それともバラ? 義父の戦争体験記その6


今日は、宇部市で開催された

「若田光一宇宙飛行士ミッション報告会」

行ってきましたよ

えっ宇宙に関心があったのって いえ、

主人が申し込んだはがきが当たって

3倍の競争率だったとか・・・実ははがきの先着順(=^・^=)

会場のときわ湖水ホールは、子どもから大人まで

宇宙に関心を持った人達ちでいっぱいでした

s-140810IMG_0448.jpg

若田さんの、国際宇宙ステーション(ISS)での

活躍の様子を映像で見ながら、

いろんな楽しいお話を聞くことができました

s-140810IMG_0420.jpg

質問コーナでは、

どうしたら宇宙飛行士になれるの

宇宙食は美味しいの、お酒類は飲めるの

夜寝る時はどうするの とか

子ども達の素直な質問にも

丁重に答えてくださって、

とっても楽しい報告会でした

s-140810IMG_0449.jpg

私の住んでいるところは、夜でも比較的明るくて

星は、せいぜい十数個くらいしか数えられないけど

ISSからは神秘的な宇宙が望めるのでしょうね

夜空いっぱいに輝く星を眺めてみたいわ~


今日咲いたバラ
  
神秘的といえば、バラの花もそうですよね
 
規則正しく渦を巻きながら広がる

幾何学的な花びらの並び

一つ一つの花に、小宇宙があるように思えます
 
無理やりこじつけちゃった(^o^)丿

今日はそんな気分でバラをアップで撮ってみました

s-140810DSC00171.jpg 

みさき

s-140810DSC00173.jpg

ガブリエル

s-140810DSC00172.jpg

結愛

s-140810DSC00176.jpg 

KIZUNA

s-140810DSC00175.jpg 

ラ・マリエ

s-140810DSC00174.jpg 

セプタードアイル

s-140810DSC00169.jpg 

グラハムトーマス

s-140810DSC00168.jpg 

あおい

s-140810DSC00167.jpg 

ローブ・ア・ラ・フランセーズ

s-140810DSC00178.jpg  



今日のニャンコ

すっかり元気になったモコちゃん

高い所から、見下ろしてます

私も、宇宙ヒコーシよ

s-140810IMG_0402.jpg

ミッション1 ママがブログ書いてるとこ偵察

s-140810IMG_0405.jpg 

ミッション2 適度の運動

s-140810IMG_0413.jpg

ミッション3 バランス感覚鍛えてるにゃー

 s-140810IMG_0411.jpg

ミッション4 船外作業 だニャー 
  




 義父の戦争体験記

「北鮮哀歌」 第6章は  続きを読むで 

見てくださいね



いつも見てくださってありがとうございます

ランキングに参加しています

下の 妖精さん を ポチっと押してね。

にほんブログ村 花ブログ バラ園芸へ 
宜しかったらこちらの方も
    
  

第六章 .あゝ、天なるか命なるか
 私達が峠を登る頃から、私等の後から一人の鮮人が登って来た。通り越したと思うと不意に後ろを振り返ってしばらく私達の様子を見ているのでとても気持が悪かった。然し間も無く日本語でどこに行くかと聞いた。私は内地に歸る為京城に出るのだが汽車に乗れない為に歩いて行くのだと答えた。歩き乍ら話す内に次第にうちとけて来て、彼は自分の家は此の峠を降りた処にあるから今晩泊まって行きなさいと親切に云って呉れた。私は真夜中山道を歩くのも危険であると思ったので妻に相談の上都合によっては休ませてもらいましょうと答えて置いた。玲子は妻の背中で無心に眠っていた。一緒になった鮮人の男は私達の足の遅いのも構わず、ずっと同行して時には私の持っているトランクを重いでしょうからと云って私の断るのも構わず持ってくれた。妻も此の辺迄来て漸く落ちついて来たらしい。ぼつぼつ話し出した。やがて峠を降り同行の鮮人の部落のある処迄来た。彼は今晩はもう遅いから、どうしても泊まって行きなさいと云って無理に引き止めた。私達も大分疲れていたのでそれでは暫く休ませてもらいましょうと云って彼の家に入った。彼は私達を門の近くにまたせて置いて中に入った。暫く鮮語で話合って居たが急に家の中で寝て居る者を起す聲がした。間も無くランプの薄明かりが照いた。老人が出て来て朝鮮語でどうぞ家の中にお入りなさいと奨めた。しかし私は迷惑になるのと顔を見られたくなかったので此処で結構ですと云って縁側に腰をかけた。それからも家の者が代る代る室の中に入れとしきりに云ったが、私等はとうとう入らなかった。それで彼らもあきらめたのであろう。縁側に布団を持って来て横になりなさいと云った。私達も疲れていたので毛布を出して横になって休んだ。夜中になると急に冷えて来て薄ら寒い感じさえして来た。毛布を被ってうつらうつらしていたらあちこちで鶏の鳴く聲が聞えて来た。

やがて妻が私を呼んで、余り明るくならない間に出発してはと云うので起きて出発の準備にかかった。あまり大きな音を出しては寝ている人の迷惑になると思ったので静かに布団をたたみ、すっかり準備をととのえ親切にして戴いたお禮にと拾円札を出して家の中に入れ出発しかけた。私達が歩きかけようとしたら家の中で感づいたのであろう。老人の聲で「もう行かれますか、もっと休まれて明るくなって行かれたら。」と云って呉れたが、私は朝の冷たい間が歩き良いからと云って出発した。夜明けの田舎道は夏とは云え、さすがに冷たかった。やがて加倉里の峠を降り、石洛里に来た頃はすっかり明るくなっていた。此処は郡境である。大きな道路を其の儘行けば平山郡の文区に行く。私等は文区を通るのを避けて左に折れて山道へと進んだ。石洛里の或る部落ではまだ早いのに大勢の人が集まっていた。私達が通るのを見ても何も云わず黙って見ていた。多分部落でお祭りでもする準備をしているらしかった。

山道を間道に入って三十分ばかり歩いて、朝食をする為一休みをする事にした。昨晩のお寿司で造ったむすびをほおばり肉の缶詰を切った。冷風の吹く静かな山で食べる食事は非常にうまかった。玲子は朝の気持が良いので機嫌が良く一人ではしゃいでいた。私等ももう此処まで来れば大丈夫、警察官として捕われる様な事は無いからと云って話し合ったのであった。(あゝそれが数時間後には新幕保安隊の為に捕われの身となり、此の日を最后に妻子と生き別れになろうとは神ならぬ身の知る由もなかった)朝食を済ししばらく休んでからぼつぼつ歩き出した。こんな山道でも一人二人ずつ向うから来る鮮人に出逢った。彼等はどこかの市日行くつもりであろう。しばらく歩いて行く内に二・三人連れの婦人が頭に荷物を乗せて来るのに出逢った。私達と通り違いになった時一人の婦人が頭の荷物を下して、中から梨を二ツ三ツ出して玲子チャンに呉れた。彼女は玲子の頭を撫で乍らほんとに可愛いと鮮語でつぶやいた。私は厚く禮を云った。彼女らの一向は何度も私達を振り返り乍ら歩いて行った。又しばらく歩いた頃今度は三十位の青年に出逢った。彼は私達をじっと見ていたが突然何か売る物はないかと尋ねた。私は何も売る様な物はありませんと答えたが、それでも彼は私の持っているトランクの中を見せて呉れと半ば強制的に云ったが私はそれに構わずどんどん歩いた。彼は気持の悪い顔をして私達を見ていたが遂に諦めて歩いて行った。私達が小山の頂きで休んでいると、後から五十前後の男が小さな荷物を背負って登って来て私達の休んで居る所で彼も荷物を下ろして休んだ。私は何処に行かれますかと尋ねると彼は延安迄行くと答えた。延安と云えば私達が之から行こうとする処であるので、私達も延安に出てそれから京城に行こうとするのだが道がよく解らないから道案内になって呉れないかと相談すると彼は、私は急ぐのだがしばらく一緒に行きましょうと云って呉れたので私は妻とも相談の上百円出して彼に渡した。しばらく休んでから今度は彼の後を尾いて行く事になった。然しこちらは荷物もあり玲子も居るので思うように進めなかった。彼は時々私達を振り返り乍ら歩いた。時には見えなくなる程離れた時もあったが、彼は私達が追い着く迄待っていて呉れた。こうして約二里ばかり歩いたであろうか。彼は私達の足の遅いのに遂に我慢しきれなくなったと見えて、私は之から延安に行って又直ぐ新幕に戻らねばならぬ用事があるのだがと云って、先に行きたい様な口ぶりであった。私達は今までは大体道も知っていたが、之から先が不案内の処になるので御迷惑でしょうが一緒に行って呉れませんかと頼むと彼はしばらく考えていたが、それではもう少し金を出しなさいと云うので、幾ら位かと聞くとあと四百円出すなら一緒に行きましょうと答えるので、私等も此処で道に迷ってはどうにもならず尚、鮮人が一緒に行って呉れれば道中も安心と考えたので思い切って金を出し道案内をして貰う事にした。

それから約半里位歩いたであろうか。山を越えて平坦地に出た。右の方に五・六十戸ある部落の横を通っていると、遠方から私達の姿を見つけて子供が四・五人走ってきた。道案内者は先にどんどん行こうとしていると、子供が私にその道を行っては文区の保安隊が向うの山の峠で待っていて、荷物を取られるからこちらの山を越えて行きなさいと云って左の方を指した。それで私は案内者を呼び止めて子供の云う事を話すと、案内者は首を傾けて私はいつもこの道ばかり通っていて左の方は通ったことが無いがと云っていたが、子供達が朝鮮語で左の道を教えていた。案内者はそれでは左の方に行って見ましょうと云って歩き出した。私は妻に子供に何かやるものはないかと云うと妻は乾パンの袋を一つ出して子供に興へた。子供達はありがとうと何度も禮を云って私達を見送った。こうして私達は左の道を進んで行ったのである。(此の時子供達が出て来なかったら私達は荷物を盗られた丈で無事に脱出できたのである。左の道を行ったばかりに新幕保安隊にぶつかったのであった。然し子供に何の罪があろう。あゝ、総ては宿命か・・・・・・)

 しばらく行くと両側の田園に二・三人の草取りが出ていて私達を見ると「今朝十人ばかりの日本人が通って行きましたから、少し早く歩かれたら夕方頃には追いつくでしょう」と云って呉れた。やがて大きな峠に差しかかった。右手には有名な減悪山が歴史の大転換も知らぬ気に悠然と聳そびえて居た。案内者は私達より百米位先を見えつ隠れつ登って行った。玲子チャンは今まではどうにかこうにか歩いていたが峠の登り道にかかってからは足が痛いと云って歩かなくなった。それで私と妻が代わる代わるおんぶをしたり手を引ぱったりして登った。(今でも蜿蜒えんえんと曲がりくねった坂道を玲子の手を引いて登った姿が目に見える様である)案内者は私達がやっと近づきかければどんどん先に行くのでいつも離れていた。

九月とは云え、真晝の太陽は焼け付くように照りつけ、全身は汗でびっしょりであった。頂上に登るまで何度も休まねばならなかった。やっとの思いで頂上に登った。私達はそこでゆっくり休んだ。案内者も私達が登るまで待っていて呉れたが、私達が登るとすぐ下迄下りて晝食をするからと云って下りて行った。私達は此処で晝食をするつもりであったが、場所があまり良くないので少し下りてからする事にした。下りは大変楽であった。半分位下った処に良い場所があったので此処で食事をする事にした。激しい運動の後の食事はさすがに美味しかった。三十分位休んだであろうか、案内者を見失っては困ると思ったのでぼつぼつ下りる事にした。暫く峠を下りた私達は、案内者が居ないかと思って辺りを見廻したがそれらしい姿は見つからなかった。峠の下で待つとは行っていたが、私達の下りるのが余り遅いものだから先に行ったのではないかと考えられたが、金が渡してあるのにまさか其の儘行ったのでもあるまいと話し合った。すぐ近くに家が一・二軒あったが家の前まで行って見ても全然見つからなかった。

それでもっと先に行って待っているのであろうと思って歩きかけようとしたとたん、五十米ばかり先の山の端をこちらに二十人ばかり銃を持って私達の方に近づいて来るのに気がついた。私は失敗したと思ったがもう絶体絶命である。逃げようにも逃げられず隠れようにも隠れ場所がなかった。私はもう仕方がない何もかも運命ぞ諦めて呉れと妻にささやいた。間もなく銃を持った連中が近づいて来て大聲でいきなり「コラ・・・・・・。」と威かした。それから皆は私の荷物を調べていたが、私の顔を見ながら「あんたは警察官ですね。」と云った。中には私の顔を覚えているものも居て、「そうだ松田部長だ。」と云った。其の中の一人が私に、自分等はソ連兵の命令で昨日から警察官を探し廻っているのだから一緒に新幕に歸りましょうと云った。私はそれでも妻や子供も居るし其の上妻は妊娠中だから何とかして、此の儘脱出させて呉れと頼んだが、それも聞き入れて呉れなかった。あゝ、天なるか命なるか此処迄逃れて来て遂に新幕保安隊の為に捕われの身となったのである。彼等はすぐ近くの家に私達を同行して暫く休んだ。其の間彼らの話す処を聞くと、彼等は新幕本署勤務であった瀬口部長と山下部長が逃げたと云うので此の二人を捕える為に昨日から探し廻っていたらしい。若し瀬口と山下さえ捕えればあんたは逃がしてやっても良いのだがと誰かが云った。私は其の間宮本と云う以前郡庁に勤めていた顔見知りのものに何とかして見逃して貰えまいかと頼んで見たが、彼は黙った儘答えなかった。彼個人としては逃がしてやりたかったのであろうが、こんなに大勢ではどうにもならなかったのであろう。その内に家の者が玉蜀忝の蒸したのを出した。保安隊の連中も私達に三ツ四ツ出して食べる様に云ったが私達は此の先どうなるかと思えば萬感胸に迫って唯有難うと答える丈で手もつけられなかった。

しばらく休んで出発である。捜査隊の連中は此処で二組に別れ、一組は私達と新幕に歸り、他の一組は別の道を捜査に行った。玲子を私が背中に負い荷物を保安隊の者が持った。之から又新幕に歸らねばならぬかと思えば足も進まなかった。歸りは私達の今迄来た道とは違って山道を真直ぐ新幕に直行した。私も妻も物も云わず黙々と歩いた。途中何度か休んだ。保安隊の連中も私達に幾分同情したのであろう。色々と親切にいたわって呉れた。夕方薄暗くなった頃新幕にあと一里位の処迄歸った。其処で約一時間ばかり休んだ。其の間保安隊の連中も私達に色々話したい事もあるだろうから此処でゆっくり話しなさいと云って、彼等は私達から五・六間離れて休憩した。玲子は私の背中で何も知らずにぐっすり眠っていた。此処まで来る間妻が幾度か代っておんぶしようと云ったが、私は之から先どんなになるか解らないと思ったので、とうとう最后迄私の背中から離さなかった。休憩中私はトランクを開けて洋服を着換えた。次に私は妻に之から自分はソ連軍の指揮に依ってどこに行くか解らないから、どうせ一緒には歸れないからお前達は先に歸って待っていて呉れ、又今日の事をいつ迄も悔んで呉れるな、総ては運命だと思って諦めて呉れる様に・・・・・・。と云う意味の事を話した。妻は涙聲でもうこうなったらいっそ一思いに死んだ方が良いのではないかと云ったが私は、いや此処で死んだ処で誰も知る者もなく犬死になるし、又内地に残っている親や兄弟がどんなに歎くか知れない。私達ばかりでなく大部分の警察の同僚はもう先に引っ張られている。其の家族も新幕に残っているのだから私が引張られた後も其の人達や野田さん等と行動を共にして必ず内地に歸って呉れ・・・・・・。呉れ呉れも云って置くが決して軽はずみな事をしてくれるなと話した。妻はそれではそうしますと云って私に身体を大事にして必ず無事で歸ってねと云って私の手を握った。私も強く握り返し乍ら、お前も無事で歸る様にと云った。互に見合す顔と顔、二人の両眼からは涙が止めなく流れた。(其の時はまだ妻子は無事で内地に歸るものと思っていたから、私さえどうにか無事で歸る事が出来れば、内地で再會の嬉びがあると思っていた。あゝ、それが此の時を最後にして永久の別れになろうとは・・・・・・。引張られた私が思わず早く歸り、新幕に残った妻子が遂に斃たおれようとは誰が想像したであろうか・・・・・・)それから私は傍に眠っている玲子を起し「お父チャンは又兵隊さんに行くのだから、玲子チャンは温和しくお母チャンと待っているのだよ。」と云った。玲子は眠そうな目をしていたが「うんうん」と云って合点首をした。妻は堪りかねてか聲を出して泣いた。私は無理に元気づける様に「なーに俺も必ず無事で歸って見せる。」と話した。やがて出発しようと云って来た。私達ももう話したい事は話したし別に心残りはなかった。今日一日の心身共の大変動にさすがに疲れが出て来た。然し私は自分の疲れよりも妻の身体を心配した。どうか妻の身体に障りが無ければ良いがと祈り乍ら重い足を運んだ。

新幕に着いた時はもう真っ暗であった。私は保安隊の者に頼んで野田さんの家に寄せて貰う事にした。野田さんはもう寝て居られた。家の中に入って聲をかけるとどうして歸って来たのかと云われ乍ら電燈のスイッチをひねられた。其処に銃を持った保安隊がついて来ているので、はっと驚愕の色が見えた。私は小さな聲でもうこうなったら仕方がない。私は警察に行くからどうか妻や玲子をお願いしますと頼んだ。そこで妻子を野田さんの家に残し、私は野田さんの家を出た。虫が知らせたのか妻は玲子をかかえて道路迄出て、真暗い処でいつまでも私を見送っていた。私も後を振り返り、振り返りして曲り角迄行って思い切って遂に別れた。愛しの妻子よ、どうか無事で内地に歸って呉れと祈り乍ら。




スポンサーサイト
コメントの投稿

 管理者にだけ表示を許可する
 

麻呂です♪
貴重ないいお話を聞けましたね~!!
麻呂犬地方も夜は明るいのですが・・・
同じ県内でも麻呂犬ガーデンは真っ暗で
よくお星さまが見えます。

モコちゃん可愛いですね~!!
ミッションクリアで宇宙飛行士さんになれますね。 (*ゝ(ェ)・)ノ
薔薇ちゃまも綺麗♪
よく咲いてますね~!!
maro | URL | 2014/08/10/Sun 22:45 [編集]
宇宙、興味ありますよ~
私の場合はほとんど「宇宙兄弟」とか漫画の影響ですけど
JAXAとか見学に行きたいねって
いつもダーリンと話しています(*^_^*)

星、ウチの方もほとんど見えないから余計かしら?

薔薇、こういう撮り方だと余計に宇宙感じますね。
生命1つ1つに宇宙があるんだと思います。
ROUGE | URL | 2014/08/11/Mon 10:31 [編集]
過酷な運命
こんにちは! Keikoさん

先ずはお互い台風の被害がなくて何よりでした。
(被害にあわれた方にはお見舞い申し上げます)

若田光一さんの報告会に参加され貴重な体験をされましたね。
宇宙服も見れたようで羨ましくなりました。

こちらに移り住んでから感激したのは
それこそ星が降り注ぐような夜空です。特に冬は綺麗です。

お義父さんの手記、毎回読んでいます。
新幕・京城(現在のソウルの特別市)検索し分かりました。
保安隊も検索しました。終戦直後にロシア軍の命により
朝鮮人が組織したものなのですね。初めて知りました。
「保安隊」と検索していると
お義父さんと同様な「終戦から引き揚げまでの10ヶ月」という
記事があり過酷な引き揚げの内容に心が痛くなりました。

お義父さんの手記には、一夜の宿を提供した心優しい方々
子供に教えられた道を選んだがための過酷な運命
愛する妻子との永遠の別れなど読んでいて涙がこぼれます。
お義父さんには、まだまだ苦難が続くのでしょう。
戦争のむごさが伝わります。
戦争の愚かさは後世に語り継ぐことだとつくづく思います。
花咲かじいさん | URL | 2014/08/11/Mon 16:22 [編集]
トラックバック
トラックバック URL

プロフィール
フリーエリア
最新記事
最新コメント
カレンダー
プルダウン 降順 昇順 年別

03月 | 2017年04月 | 05月
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -


最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
訪問
閲覧
カテゴリ
カテゴリ
最新記事
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
ご意見・ご感想はこちらから

名前:
メール:
件名:
本文:

バラ一覧
ブロとも一覧

アロマサロン HEARTY ブログ

bibimama 夢の家ブログ ( *´艸`)

アンティーク調ジュエリー工房のMICHELLE  ミシェル

猫の来る庭 O's Garden