台風に備えて、 いかだねこは・・・ 義父の戦争体験記その3~5


台風11号、今夜通過するみたいですね、

朝から頑張って、鉢を移動したり

ガーデンテーブルやオベリスクを固定したり

置物を倒したりと、頑張って対策したのだけど

時折強風が吹く程度で、雨もあんまり激しくなくて

結局、ほとんど影響はなさそうな雰囲気です

関西地方に上陸しそうですが

被害がない事を祈ります

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スタンダード仕立てバラはロープで3方から固定

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ウッドデッキの鉢を移動したら

なんだかとっても広く感じちゃいました

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エンジェルさんも横になってお休みです

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オベリスクは、元々不安定なので、

ロープで支えました


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こんな、台風のさなかでも、コガネさんは

ハネムーンなのよ

鉢に卵を産み付けられると厄介なので

殺虫剤をスプレーしました



今日咲いたバラ

風で、ゆらゆら揺れて、なかなか

シャッターが押せません

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新雪

高い所に咲いていて、脚立に登って

撮ったのだけど、台風のさなか

高所作業は気をつけないといけないわ


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ラ・フランス

ラ・フランスといえば、花びらが反り返った形を

思い浮かべるのだけど、この子はどうかしら

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ジ・オルブライトン・ランブラー

ERのランブラータイプ、今年お迎えして

まだ子供のような株だけど

ロゼットのかわいい花が咲いてくれます

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キャラメルアンティーク

春ほどではないけれど、大輪の花が咲きました

この風で、痛まないといいのだけど


今日のニャンコ

台風の時は猫さん達どうしてるのかな

ふと気になったのが、

先月、岩合光昭世界ネコ歩きで紹介されていた

山口県下松市の海上のいかだで生活している 

番ねこのチーちゃんとドラミちゃん親子

もう10年以上、いかだの上で暮らしていて

養殖トラフグを狙ってくるカラスを追い払う

仕事をしているんですって、
 
いかだの上には小屋もあるけど、台風の時は

って、検索してみたら、ちゃんと連れて帰って

倉庫に避難してるって書いてあって安心しました
 
http://www4.nhk.or.jp/nekoaruki/2/

https://www.youtube.com/watch?v=KGvjLOJz590

再放送もされるみたいです

よかったら見てみてね

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いかだの上かー、酔いそうだニャー

誤って落ちないか心配だニャー

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えっ、2匹とも女の子なの

怖くないでちゅか



 義父の戦争体験記

「北鮮哀歌」 第3章~第5章は  続きを読むで 

見てくださいね



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第三章.ソ連軍の進駐と警察の解散

  八月二十四日頃であったか、新幕の本署から警察も之から勤務する事になったから、私に新幕の方に来る様にと警備電話で知らせて来た。それで私は妻と相談の上、一応私一人で新幕に行く事にした。翌朝本署に行って見ると殆ど全部集まって居た。今まで行方不明であった鮮人職員も相当顔を見せていた。勤務と云っても今までの様な事ではなく署員を三班に分けて一班は第一日、二班は第二日と云う具合に三日に一日勤務すれば良かった。又勤務の方法も署内に待機している組と市内を査察する組とに分かれ交互にやって居れば良いのである。私は二日目に勤務する事になった。それで其の日は午前中新幕に居て午後は龍坪に歸った。二日目の朝本署に出た。勤務とは云っても別に何もする事もなく退屈であった。

  多分其の日の新聞であったか朝鮮は三十八度を境にし、南は米国、北はソ連が占領すると云う記事が大きく出て注目を引いた。鮮人の有力者達もアメリカの占領下になるものと思っていたのに、ソ連が来る事になったので見当が違ったらしい。口には出さないが動揺している表情が見られた。

  同じ警察署内で警察は警察で勤務し、保安隊は保安隊でやっているので表面上の対立はなかったが、何だかそぐわないものがあった。翌朝勤務を終わり又龍坪に歸った。妻や森・今村さん達と相談の結果、荷物だけは牛車で新幕に送る事にした。どうせ引揚げる時は新幕から汽車に乗らなければならないと思ったので・・・・・。妻も私が新幕で勤務する事になったので新幕に行く様に話を決めた。それから二日目頃だったか勤務の都合で私は又新幕に行った。丁度此の頃から運悪くマラリヤの再発が初まった。翌日の勤務は気分が悪いと思ったが一応出勤した。幸い其の日はどうにか勤務する事が出来た。其の頃ソ連軍が三十八度国境近くにある金郊という処に進駐したと云う話を聞いた。(其の時はまだ先導隊で人数も十名内外であったらしい)翌日の昼頃、妻が汽車で新幕に来た。列車は満員であったが驛員が無理に乗せて呉れたらしい。午後になってマラリヤが出た。私はそれから以後、殆ど毎日熱が出て警察には出勤しなかった。

 其の頃町では朝鮮の国旗とソ連の赤い旗を掲げてソ連軍を迎える準備をしていた。八月の下旬(二十八・九日頃)新幕にも愈々ソ連兵が進駐して来て日本の警備隊が居た不二國民学校に入って来た。町はソ連兵を見ようとする鮮人で一杯であった。警備隊は将校を残し解除になったと云う事であった。又一部はソ連兵の為何処かに連れて行かれたと云う話もあった。

 ソ連軍の進駐以来、海州の警察部の方から連絡が取れなくなった。其処で署長は署員とも相談の上解散する事になったらしい。私は熱の為に警察署に行かなかったので当時の様子は残念乍ら解らない。但し愈々解散になったと云う事を聞いた時は何とも云われぬ淋しい気持ちがした。

 あゝ其の昔希望に燃えて渡った玄界灘、未来の署長、警視を夢みた事も今は総て水泡となった。僅かに七年後にこんな事になろうとは・・・・・

 警察も終戦の混乱から漸く平静になりかけていたのだが、ソ連軍の進駐で何もかも駄目になったらしい。

 

第四章.形勢刻に不利

 ソ連軍進駐後も一週間位は比較的平穏であった。ソ連兵も初めの間は人員も少ないし、日本人・朝鮮人に対し或る程度の驚怖心を抱いて居たらしい。警察も解散にはなったが、何れ近い内に列車に乗って引揚が出来るものと信じていたのである。その頃から新幕にも日本人会を創って驛前の甲陽旅館を事務所にし、引揚準備や物資の配給情報の交換等の事をやり出した。

 此処で一寸ソ連兵の印象を記して置く事にする。日本人も朝鮮人もソ連兵を見るのは生まれて初めてである。それで前にも書いた様に、初めて進駐して来た時は、町はソ連兵を見物する為まるでお祭りの様に人が出て居た。服装は日本の兵隊と比べても比較にならぬ程粗末なものであった。顔はどの顔を見ても同じ様に見えたが、気を付けて見ると、まだ十七・八才位の若いのが居るかと思えば四十・五十位でもあろうかと思われるのも居た。外観はどの点から見ても日本兵よりは劣って居る様に思われた。こんな奴に負けたかと思えば、全く情けないと日本人同士語り合った。然し兵器はとても精巧なものを持っていた様である。

 その頃私はマラリヤの為、野田さんの一室で寝たり起きたりしていた。妻は妊娠の為、幾分(やつ)れて居たが病気は無く元気であった。玲子は何も知らずに私達がつも一緒に居るのでとても喜んで一人で賑かしてた。私は時々妻と内地の事を話し合った。内地は空襲が激しかったが防府はやられてなければ良が・・・・・又、之から内地にったらもう郷里に落ちつて呑気に百姓でもやうかと色々将来の事を話し合った。それは終戦後の身近の大変動の中にも一つの楽し語らであった。

 又、其の当時北鮮満州あたりから逃れて歸る者も相当あった。列車は一日に一回通るか通らない位であったが、いつも故郷に歸る朝鮮人・日本人で一杯であった。(私達も此の頃に思い切って歸っていたら悲しい想いもせずに済んだのであったが・・・・・。)然し新幕では、まだ誰も急いで歸ろうとする者は一人も無かった。今から考えて見ると随分呑気な話であるが、実際その時はまだみんな汽車に乗って歸れるものと信じて居たのである。

 其后間もなく列車は全然通らなくなった。何の為であるか、驛員に尋ねても解らないと云っていた。或る者は石炭が無いからとか、又或る者はソ連軍の指令に依らなければ列車は動かせないのだとか色々噂をした。

 又日本人同士では、もう間も無く引揚が初まるとか、北部の方から先に引揚げるのだとか、兵隊や警察官が一番先に歸るのだとか、いや警察官は一般人が引揚げしてから最后に歸るのだとか、云い合っていたのもその頃であった。そうした状態が続いたあとの或る日、一つの不安な噂が入って来た。それは国境近くの金郊や新渓方面では、ソ連兵が日本人から時計や金を盗ったり女を暴行したりすると云う事であった。しかし新幕では時々酒を飲み歩くと云う程度で、日本人に対しても何一つ危害は無かったので、それは朝鮮人が早く日本人を歸らせて、あとの財産や権利を奪ってやろうとする為のデマであろう位に考えて、あまり心配する者もなかった。しかしそれから間も無く、実際見て来た者の話だから嘘ではないと云う朝鮮人も居て段々不安になって来た。それでもまだ新幕では現実に被害が無かったので半信半疑であった。その頃から色々な流言蜚語が朝鮮人・日本人の間に流れ飛んだ。その中で私達の最も不安に感じた事は、平安南道方面では警察の幹部をソ連軍が引っ張ったと云う事であった。それから間も無く(日時は詳しく解らないが多分九月七・八日頃に思う)署長は身近の危険を感じ子供を残した儘、自転車で京城に出発したと云う事を聞いた。(私は今更人の批判はしたくないが、其の時何故署長は部下の署員に身に危険が迫ったから自分は京城に向け出発するが、諸君も一緒に行かないかとか、或はこう云う情勢であるからなるべく早く引揚げた方が良いと思うが・・・・・。と云う位の事を傳えて呉れなかったかと残念に思っている)

 

第五章.脱出を企つ

其の翌日であったが野田さん達と一緒に晝食をしていると、保安隊員がやって来て警察官は居ないかと尋ねた。私は顔を見られたので私ですがと答えると、ソ連軍の憲兵が尋ねる事がある相だから一寸警察迄出頭する様にと云った。私は病気で寝ているのだがと云ったが、それでも一応行った方が良いでしょうと云ったが強いて行く様には云わなかったので行かない事にした。其の日出頭した者はソ連の憲兵から、氏名・年齢・勤務年限・階級・勤務種別等を聞かれ、今日は一応歸って今度又呼んだら来る様にと云われて歸った相である。私は其の晩警察に出頭して来た吉池部長の家に様子を聞きに行った。其処には吉池部長の外に岩井部長と田淵川巡査等が同宿していた。みんな集まって相談したが、今迄の警察のやり方を憲兵が参考に聞く為に呼んだのであろうと云う位に考えて、進んで脱出しようと云う者は無かったので幾分安心して家に歸った。其の翌日藤川部長が尋ねてきてどうも警察官は抑留されるらしいから今晩脱出しようではないかと相談した。其処で私も脱出の決心を定め妻と二人で準備を初めた。ところが其の日の午後瑞興の保安隊員が四・五名藤川部長の居る家に瑞興駐在所の首席であった井上警部補を引張りに来た。(藤川部長は勤務主任官舎を出て後、私達が居た野田さんのうしろの山口と云う牛乳屋に井上警部補と一緒に居たのである)その時、丁度井上警部補も藤川部長も家に居たが、井上警部補は奥さんの知らせで直ぐ裏の鶏小屋に(かく)れた相である。藤川部長は運悪く便所に行っていたので、保安隊員が来ている事も知らずに、便所から出て来た所を捕まったのである。藤川部長が連れて行かれたので其の晩の脱出は色々と迷ったが結局やめる事にした。

其の翌日先に出頭した警察官を保安隊員が廻って警察に連行した。もうこうなっては、猶豫(ゆうよ)はならぬと考え、私は其の晩脱出の決心をした。野田さんにも一緒に歸らないかと云ったが野田さんは家の事がまだ片付いていないから歸れないと云われるので、私達だけでも脱出する事にした。其の晩、愈々脱出すると云うので支那人から貰った砂糖でお寿司などをこしらえ、野田さん等と一緒に夕食をして居ると、銃を持った保安隊員が二人突然入って来て私の顔を見ると、今から直ぐ警察に出頭する様にと云った。私は一瞬失敗したと思ったがもう仕方がなかった。私は妻の不安な顔を見ながら警察に行く仕度をしていると保安隊員二人は何か話し合っていたが、一人が近づいて来て「どうして今迄警察に出頭しなかったか」と尋ねるので、私は病気で寝ていたので何も知らなかったと答えた。するとしばらく黙っていたが、私の洋服(背廣)を身ながら此の洋服を置いて今晩逃げなさいと云った。私は絶望のどん底から(にわか)に天に飛び上った様な気持がした。妻も不安な顔が見る見る明るくなったようであった。彼等は結局物が欲しかったのである。私達の一人や二人連れて行かなくてもソ連兵に解る訳ではないし要するに彼等は良い可減にやっていたのである。もっとも皆が皆こんな保安隊員ではないが・・・・・。

 保安隊員が歸った後、野田さん達も「あゝ、ほんとに良かったね、然し早く脱出しなければ・・・・・。」と云われた。云われるまでもなく、私達はいつでも出られる様にして置いて暗くなるのを待った。一時間ばかり待って愈々出かける事にした。玲子を妻が背負い、私がトランクやリュックサック等を持った。野田さん一家と別れの挨拶もそこそこに、裏口から抜け出る様にして小路にでた。野田さんが其処迄心配顔で来て「気を付けて行って呉れ、内地に歸ったら下松に連絡して呉れ。」と重ねて云われた。小路を通る時は誰にも見られなかった。一番困るのは支那人の料理屋のある四ツ角であった。其処は電燈のあかりで道路は明るく、其の上通行人が大勢あった。しばらく様子を見ていたが、思い切って横切った。其の瞬間の気持はなんとも云われない。幸い通行人の注意も引かず無事通ることができた。こうして新幕の町を抜け出て文区に行く道路に差し掛かり鉄道線路を横切った時ようやく我に歸った。間も無く通りに差し掛かり振り返れば新幕の燈が点々と輝いていた。

 

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台風対策バッチリされたのですね。
ウチはベランダの高い所に置いてる鉢を下ろした程度です。
今は植え替え間近の根がギュウギュウの鉢ばかりなので
倒れたら倒れたでいいかなと(^^;
お花だけは摘んで花瓶に活けましたけど。

外猫さん達はウチの風向きで雨がかからない所で
固まって凌いでいました。
なので「大変だよね」ってオヤツを振舞いましたよ(*^_^*)
ROUGE | URL | 2014/08/10/Sun 09:25 [編集]
はじめてのコメントになります

いつも綺麗な薔薇の花をありがとうございます

鉢の移動は大変ですよね!?
ボクんちも家の周りは女房が大事にしている
鉢でいっぱいなので移動に大変でした^^;

また、癒されに来ます。
あくともん | URL | 2014/08/10/Sun 10:39 [編集]
今回の台風は凄まじくって・・深夜からNHKを見ていますが、あまりの状況に驚くばかりです。
keikoさんの台風対策、しっかりとなされていて、とても参考になります。
どうか被害なく、台風が過ぎ去ってくれますように。

らな | URL | 2014/08/10/Sun 15:14 [編集]
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